なぜ村松を引き留められなかったか

11月19日、FA宣言していた村松有人外野手(30)のオリックスへの移籍が正式に決まった。条件は4年契約で総額4億円プラス出来高払い(推定)だという(日刊九州,11月21日)。


村松は今季、打率.324、32盗塁と1番打者の役割を十分に果たし、チームの優勝の大きな原動力となった。しかしながら、これまでの成績を見ると、平成7年に初めて打率.308を記録して以降、今季まではほとんどの年を打率2割5分前後の低打率で過ごしており、むしろずっと低迷していたと言ってよい(サンスポ)。それゆえ、12年目の今季の年俸4100万円は、同じ外野手であっても7年目の柴原の9000万円に比べると大きく水をあけられている。


仮に今シーズンオフにFA権が絡まず1年契約で契約更改していたなら、守備を含めた今年の成績と「史上最強打線」を核弾頭として牽引した功績を考慮しても、9000万円程度が妥当なラインだろう。実際、FAを宣言する前の段階(10月28日)では、ダイエーは年俸9500万円を村松に提示している(日刊九州,11月3日)。10月29日の佐藤球団本部長の「次回交渉?しません。(FA宣言して)出るのだったら、どうぞ、ご勝手に」 という発言(日刊九州,10月30日)は余計だったが、単年契約としての査定自体はわりとまともだった。村松も「金額には不満はない」と言ったほどだ。球団の対応に間違いがあったとすれば、明らかにFA宣言を視野に置いていた村松に対して、「複数年契約は認めない」「FA宣言した選手の残留は認めない」という、これまでの不合理とも言える球団姿勢にこだわる立場から交渉を開始したことに尽きるだろう。後になって高塚球団社長兼オーナー代行が「伏してお願いしてでも残って欲しい」(報知,11月11日)と言うくらいなら、なぜ、初めから、伏してお願いする気持ちで交渉を開始できなかったのか。


11月3日、村松はFA宣言の意志を明らかにし、これを受け、球団は村松がFA宣言しても引き続き残留交渉し複数年契約も認めることを決定した。村松は予定通り、5日にFA宣言した。その後の村松と各球団の主な交渉経過をまとめてみると以下のようになる。

10日にダイエーが提示した条件は1年当たりの金額で見ればオリックスよりも僅かに好条件である。それにも関わらず、この日の交渉はわずか10分で打ち切られた。この時点で、村松の残留の意志はほぼなくなったと思われる。


なぜそうなったかを考えてみよう。


ダイエーが10月28日に提示した条件やロッテが提示した条件を見て分かるとおり、村松は1年契約なら約1億円の価値がある選手となった。年俸1億円という値は今なお一流選手の一つのステータスであり、村松も今季の活躍で自信を深め、1億円プレーヤーへの昇格は望むところだろう。しかし、さらにそれ以上の年俸、たとえばダイエーが提示した3年間で3億6000万円+出来高払いの条件を単純に喜べるかどうかは疑問である。高い年俸には、選手にとってもそれだけの責任が伴うからだ。

村松はこれまで一度も2年連続3割さえ達成したことはない。新井コーチとの出会いにより打撃改造に成功したことは事実ではあろうが、やはり今後も3年連続で好成績を残せるかどうかは未知数である。ましてや、3年間で3.6億円分以上の働きを期待するのは本来ならば酷ではないだろうか。そういう意味で、今季4100万円の選手に対してダイエーが最後に出した条件は最大限の譲歩であると言ってよい。しかし、逆に言えば、この契約内容の場合、少なくとも毎年打率3割は打ってもらわないと球団にとっては割に合わない。少しでも調子を落としたときには、周囲から受ける風当たりも相当なものになろう。このように、村松にとっては大きなプレッシャーを与える条件でもある。


もう一つ重要なことは、決して並はずれた長打力があるわけではなく、毎年首位打者争いをするタイプでもない村松にとって、1億円以上の年俸はおそらく3年後には重荷にしかならないということだ。村松は来季31歳。今後3年間は持ちこたえられても、いずれ年齢と共に訪れるであろう体力の衰えからは逃れられまい。したがって、もしこのままホークスに残留した場合、3年後のシーズン終了後には高額年俸を理由とした球団からの放出と、FA宣言しようにも他球団は高額年俸を理由に獲得を遠慮、結果として自由契約または大幅ダウンをのんで残留…というストーリーが見えてくる。


以上のような理由から、ダイエーが大サービスしたかに見えた出来高払いを含めて総額1億円分の上積みは、1年でも長いプレーを望む村松にとっては、むしろありがた迷惑でしかなかったのではないかと思われてならない。


これに対して、オリックスの4年で4億円プラス出来高払いの条件はどうだろう。平らにならせば年俸1億円プラス出来高払い。ずっと現状維持みたいなもので、活躍すれば出来高でまかなうというものである。オリックスにとっては、4年のうち1年でも活躍してくれれば、十分おつりが来る買い物だ。もしも不本意な成績に終わる年があったとしても、オリックスはそれほど損な買い物をしたことにはならない。つまりどちらへ転んでもお互いに損をしない内容になっている。このようにして考えてみると、他の要因を一切無視しても、ダイエーオリックスのどちらの条件が村松にとってより気楽かは明らかだろう。


ダイエーは1年当たりの金額でオリックスを上まわることで勝負をかけたつもりだったかもしれないが、契約年数を3年にこだわったことが、逆に裏目に出たのではないだろうか。村松は交渉がたった10分で終わった後に「もともと数字(金額)に不満があったわけじゃない」 というコメントを残している(報知,11月10日)。金額的には、3年契約3億円、つまり1年当たり1億円の条件でも不満があったわけではないということになる。村松の求めていたものが、単なる金額の上積みではなかったことは明らかだ。


日本ハムの条件は論外で、交渉後に「驚いた」と村松がコメントしたのも無理はない。交渉の順番が最後になったことで、どうしても来てもらいたいという誠意を示すためには、オリックスと同じ4年で、より多い金額を提示するしかなかった。それは理解できる。しかし、出来高を含むとはいえ4年で6億円という数字は、やはり上がりすぎである。本人にとっても、嬉しさを通り越してむしろ怖いくらいだろう。もしこんな条件で契約すれば、1年でも十分に活躍できない年があれば間違いなく大変なことになる。給料泥棒の烙印を押されるのは目に見えている。


このようにして考えてみると、9日にオリックスが「4年契約、総額4億円プラス出来高」という村松にとってもやりやすい適度な条件を提示した時点で、村松の気持ちはほぼ固まっていただろう。この日の交渉後に村松が見せた笑顔が、その時の彼の気持ちを雄弁に語っている(日刊九州,11月10日)。


村松は早くから、1年でも長く現役生活を続けたい、そのためには選手寿命を伸ばすために天然芝の球場でやりたい、という希望をもらしていた(日刊九州,11月3日)。天然芝のホームグラウンドを持つのは、獲得に手を挙げた球団ではオリックス以外には見あたらない。また村松夫人の実家が神戸であることからも、オリックス村松獲得に有利であるとされていた。
そのような有利な立場にもかかわらず、オリックス村松を十分満足させながらも過度のプレッシャーは与えない絶妙の金額を示し、しかもダイエーよりも1年長い4年契約を提示してみせることで最大限の誠意を見事に形として表してみせた。これに対して、日本ハムの誠意は村松にはむしろ大きすぎた。そしてダイエーは、初めに単年契約という最小の誠意を形にして見せた時点で既に終わっていたが、10日の交渉で高すぎる金額を提示して自らの首を絞める格好となった。ロッテは、本気で獲得する意志はなかっただろう。


もしもダイエーオリックスで条件が互角、誠意も互角であったならば、あとはチームへの愛着を取るか天然芝を取るかであり、村松を少しは悩ませることができたかもしれない。しかし、オリックスに誠意で敗れた時点でダイエーの勝ち目はなかった。ダイエーは、総額4億円を用意できるのなら、条件を小出しになどせずに、初めから最高の条件を提示するべきだった。それはおそらく、3年で総額4億円ではなくて、4年で総額4億円であるべきだった。それが、ダイエーが示せる最大の誠意だったはずだ。
ダイエーは条件競争の結果で敗れたわけではない。天然芝の持つ魅力にのみ敗れたわけでもない。村松の気持ちをくみ取る力の差でも敗れていたのだ。


プロ野球選手にとって年俸の金額は大事だが、金額だけが全てではない。選手にとっても働きやすい適度な金額というものがあるのだ。このことにダイエー球団が気づかない限り、同じ失敗はまた何度でも繰り返されるにちがいない。 (hawkswatcher)